「忘れられてしまう日」のことを思いながら育児する




小さい頃のことってどれくらい覚えていますか?

私の人生最初の記憶は、母に風呂に入れられている記憶です。

「湯冷めしちゃったからもう一度入ろうか」と声をかけられて、抱っこされながら湯船の方に移動して、そこで母の手が滑ったのか私は湯船に落下。どぼーん。

「死ぬ!!」

と強く思った瞬間です。お湯のなかで揺れる黄色い光と自分の口からでてゆく泡の様子などが強く印象に残っています。

あとから母に聞いてみるとその出来事は生後3ヶ月の頃だったそうです。

次の記憶は2歳頃まで飛んで、あとはだいたい3歳以降、飛び飛びに幼稚園頃の記憶から現在に繋がっています。

物心つくまでのことは明確な記憶に残っていない

私には弟がいるのですが、弟にいたっては、幼稚園の頃の記憶は一切ないそうです。

つまり、弟にとっては、「人生は小学校入学から始まった」ものということになっています。

私は3人姉弟で、姉と私は2歳差、弟と私は年子です。

現在育児をしているから想像できますが、そんな年齢差の3人育児、しかも母は専業ワンオペで、日常は恐ろしいほどカオスだったでしょう。

扱いやすいかに見えてメンタルが弱く食の細い姉、自由奔放で怒られることばかりやる私、気がつくとどこかに消えている弟。弟が幼稚園に入るまでの生活を想像するとねぎらいの気持ちでいっぱいになります。

(車で20分ほどの場所に自営業の祖母宅があったので、日中はほぼ毎日通っていたそうですが、朝晩は本当に大変だったと思います。)

しかし、私はもちろん、弟には小学生以前の記憶が一切なく何も覚えていないため、そんな風に母が言葉の通じない乳幼児相手の育児に奮闘していた日々のことは、私たち子供の人生において『なかったも同然』になっているのです。

今の自分と、今の子供はいずれ忘れ去られる

私も多くのお母さんと同じように毎日子供のことを想い何が最善なのか、迷いながら育児をしています。

「子供相手にあんな言い方をしてしまった。」

「接し方を勉強して変えてみよう」

「今日も寝る前に大好きって伝えよう。」

毎日毎日、色々なことを考えながら、迷って選んで決めて後悔したり、よしっと思えたりしながら子供と接しています。

でも、息子は今3歳で、娘はまだまだ10ヶ月。

大変なことがあったり、自分の態度に後悔したり、そんな風に接し方に迷い、頑張っている私のことは子供たちの記憶には残らないんだろうな、とふと考えることがあります。

それでも、『三つ子の魂百まで』とも言われるし、そうでなくとも自分の意思で産んだ大事な我が子を「どうせ覚えていないから」と適当にお世話をするわけにはいきません。

これからどんどん大きくなってゆく子供の長い人生の『思い出』として記憶には残っていかなくても、家に帰ればお父さんとお母さんが居て、適当でもなんでも一応ご飯が用意してもらえて。安心できる空間があって寝て起きてご飯を食べて会話して。そういう場所を子供に与えること。たまにはお出かけしたり、失敗して怒られたり謝ったりしながら関係を築いていく。

親として毎日できる範囲で真摯に、無理しないよう手を抜きながら子供と向き合うことで、積み重ねているものは確実にあるんだろうなと感じています。例え今日が子供の人生からは忘れられるとしても。

そしてそれこそが人間としての1番重要な基盤となるものなんだろうなと思います。

笑って褒めて怒ったり謝ったり、慌ただしく毎日が過ぎていくなかで「いつか忘れられてしまう日」に想いを馳せる瞬間があるというお話でした。



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