愛する夫が家事育児に当事者意識を持つまでのはなし




今回は初心に返って(?)愛する我が夫が家事育児の当事者になるまでのことをお話したいと思います。

かざり
あくまで私の経験、私側からの話です。

家事育児をやる夫に変わるまでにはたくさんのバトルがあった

九州の山奥で生まれ育ち、10も年上でしかも長男坊の夫。

今から思えば、家事育児に当事者意識を持って取り組んでもらう相手としては、なかなかハードな条件が揃っているように思います。

夫は、(自分自身の思う)いい父親であろうとしてくれていましたが、私が求める家庭運営のパートナーとしては呆れるほど力不足でした。

この記事にもあるように、息子が生まれて1年半ほどの夫は正直、父親と呼べるようなものではありませんでした。

私が夜じゅう息子の夜泣きに付き合って、朝になってやっと起きた夫に『20分だけ寝かせて』と言うと『酷いお母さんだね〜!』と言われた。あの人は子供の寝る時間よりも自分の煙草の休憩を優先して、食事もお風呂も遅くなって0歳児が寝るのが夜の12時になっても気にもしていない。朝私が子供の着替えや朝食や弁当の準備で動き回っているのに不機嫌そうに自分のコーヒーだけ入れて煙草を吸って出勤してゆく

記事からの引用、過去の事実です。

とはいえ、謝ってもらったことで産後の出来事は消えないにしても、恨みは昇華された可能性が高いです。

現在夫は家事育児の立派な相棒

夫は今、就寝前に炊飯器が空であれば米を研ぎ、朝炊き上がるように炊飯予約をしておいてくれます。

重要なポイントなんですが、現在の夫はこれを「自分の判断で」行います。

私が「ご飯もうないから炊いておいて」と指示を出してそれを聞いて動くわけではありません。

もう「言ってくれればやるよ」なんていう指示待ちポンコツではなくなりました。

全体の様子を見て必要なことを自分で判断して対処する、という仕事ならやっているだろうことを家庭内でもやっているだけのことです。

その状態にたどり着くまでには身を削るようないくつもの闘いがありました。

コラム:「言ってくれたらやるよ」は協力的でなく『迷惑』

「言ってくれたらやるよ」というのは「必要なことを把握して判断するつもりはないよ!もちろん責任を持つ気もないからね!」と同義なんですよね。

膨大な家事の全体像を把握して目先の必要なことを平行してこなしつつ管理を進めていくというのは大変な労力を伴います。

そんな中『やる気もなくわかる気もない人間に一言で伝わりやすく気分を害さない指示文章の作成』まで要求されてしまうと「自分でやった方が早い」という判断になるのは仕方がないことだと思います。

「言ってくれたらやる」というのは協力的でもなんでもありません。

さらに仕事を増やしている状態です。

変わってくれるまで本当に大変だった

家庭内ではポンコツ、出先では抱っこしてドヤるイクメン()だった夫に変わってもらうまでには様々な努力が必要でした。

それもこれも産前の私が「自分の子供って可愛いだろうなあ!夫もいいパパになってくれるハズ♫」と能天気に捉えていたのが原因だったように思います。

そしていざ出産。我が家は里帰り出産はせず、お義母さんが産後5日間だけお手伝いに来てくれたのみ。

1人目、里帰りなし、子は寝ない、乳を飲まない、夫は観客。

地獄ですね。

産後の身体ダメージ、母親としてのプレッシャー、寝不足…夫に助けを求めるも立っている場所も見えているものも全然違うので、どうにも伝わりません。

疲弊した寝不足の頭では、伝わる努力をする気力すら湧いてきません。

理論立てたり効果的な方法を模索するほど心身が回復してきたのは息子が1歳半になる頃でした。

感情的にならないと気づいてもらえなかった

我が家の夫には、落ち着いて伝える、話し合いを求める、というアプローチでは逃げ回られてしまっていました。

夫の逃げ行動
  • 「そんな話寝る前にやめてよ」「休日にやめてよ」「朝からやめてよ」
  • テレビから目を離さない、生返事
  • 「喧嘩したくないから一旦頭冷やしてくる」

落ち着いて話そうとしても、逃げ回られてしまって、まず対話自体が始まりません。

なので、精神の限界を迎えて泣き喚いて怒鳴り散らして追い回し家出をして『非常事態だ!』と認識してもらうことからのスタートでした。

「これはヤバイぞ」と認識させて逃げるのをやめてもらうまでに長い時間がかかりました。

そしてやっと向かい合ってくれた夫に「あなたが必要だから変わってほしい」と伝えることでやっと夫婦としてのスタート地点につけた気がします。

積み重ねていくことでどんどん変化していった

ごまかして逃げ回ることを諦めた夫は、家事育児に対して協力を求めると様々な言葉で抵抗してきました。

抵抗ワード
  • 「言い方が気に入らない」
  • 「やってるのに全然やってないって言わないで」
  • 「完璧を求めないでよ」
  • 「自分が正しいと思ってるんでしょ」
  • 「仕事やめて家事やればいいってわけ?」
  • 「僕だって頑張ってるのに!」

これらにいちいち反論を重ねて言い訳を潰していき、改善してくれたことに感謝を伝えながら喧嘩を繰り返し、長い時間をかけてじわじわと夫は家事育児に対して当事者意識を持ってくれるようになってきました。

自己判断で家事をやるようになった頃には感激して踊り回って喜んでいましたが、最近やっとそれを当たり前として受け入れられるようになってきました。

感激して褒めているうちは、まだ対等ではなかったなと思います。

コラム:「ほめておだてて」は夫を大人として馬鹿にしている。

個人的には家事育児に協力しない夫に対して「ほめておだててうまくやってもらいましょう♡」というアドバイスは早く死滅して欲しいなと思っています。

褒めて煽ててやってもらう、というのは夫は家事育児ができないものという前提の上に成り立っています。

大人が自分の住んでいる家のこと、自分の子供の面倒を見るのは特別なことではありません。

じゃあどうすればいいのかっていうとひとつひとつに「ありがとう」と心から感謝の言葉を伝えるだけです。

配偶者が「ほめてくれないとやる気が出ない」という要求をしてきたら、「自分の食った飯の食器、自分で洗えたねええ!ちゅご〜〜い!」「自分の子供のオムツを親が変えた〜!すっっごーい!ソンケーする〜!」と存分に褒めて煽ってあげてみてはいかがでしょうか。

うちの夫にこんな風に『褒めて煽てる』を実行したところ「馬鹿にしないで」と言われたので、気づく人は気づくかもしれませんね。

我が家には喧嘩が必要だった。

子供が生まれたことは予想を遥かに裏切る出来事で、私には天地が入れ替わったレベルの変化が与えられました。

重すぎる責任感、不安、自分へのプレッシャー、思い通りにいかない育児。

睡眠の自由どころか排泄の自由すらも奪われてろくに食事も取れない日々。

人間としての最低限の尊厳を、予想していたよりも激しく唐突に愛すべき我が子に全て奪い去られてしまったことは衝撃でした。

もちろん大事な我が子を憎むことなどできません。目の前の出来事に大きな傷を抱えた身体でひたすら対応していくしかありません。

しかし、夫には「わーい家族が増えた!嬉しい!赤ちゃん可愛がるぞ〜」というハッピーな出来事でしかありませんでした。(私も一緒に、その喜びだけを味わえたらどんなに幸せだったかな!)

子供ができる前は私たちは仲良しで、お互い得意なことで助け合っていていいバランスだと思っていました。

しかし、育児が始まることで激しい勢いで私たちの関係に大きなズレが発生しました。

産前は2人で能天気に楽しみにしていたはずなのに、出産して退院した途端私だけ思いもよらず突然孤独な惑星に吹き飛ばされてしまい、夫が(夫からしてみれば私が)言葉の通じぬ宇宙人になってしまいました。

今から思えば、妊娠中からじわじわと1人乗りのロケットは準備されていたのかもしれません。

そこから、交信方法を模索したり、まずは存在に気づいてもらうためにミサイルを打ち込んだり、ありとあらゆる手段を試して交信や交渉を続けて再び同じ星で暮らすことができるようになったことは「夫の教育」「パパ育て」なんていうものではありません。

私は『母親』として一方的に搾取されることは我慢ならず、立派な大人である父親を大きな長男などと馬鹿にしたり、うまくやって手のひらで転がすという人間性をナメたこともしたくありませんでした。

意思のある大人同士として対等な関係を築くために、必死で交渉を続けてきただけです。

どうすればいい関係で楽しく過ごすことができるのか。

夫自身も戸惑いながら、私の反応に振り回されながら自分の中の「思い描いていた家族像」に別れを告げ、家事育児に当事者意識を持って取り組んでくれるようになりました。

妻が孤独な惑星に1人吹き飛ばされたことに気づいていたかはわかりません。

ただ、真摯に正直に誤魔化すことなくぶつかり続けながら、2人の大人が協力しあって、ふたりが暮らす家のことをやり、ふたりで作った大事な子供の面倒を見る、という、片方にだけ負担や不満がのしかからない関係をつくりあげようと努力しています。

我が家は2人の未熟さと準備不足から、産後になってからこういったハードなすり合わせが必要になりました。

そして、頻度は大幅に下がったもののこれからも喧嘩はしていくと思います。

人間はみんな違うので、それぞれの家族、それぞれの夫婦に合った方法で、お互いの不満が少ない家庭運営のかたちを見つけられるといいなと思います。

かざり
最初からいい関係でスタートできなくても、変わる可能性はゼロじゃないよという我が家の一例でした。